2003~2020年度の川崎医科大学衛生学の記録 ➡ その後はウェブ版「雲心月性」です。

感謝を乗せた桜が咲く頃

2007.04.01.

12月から2月までは本当に暖冬で,観測史上初の・・という言葉が新聞紙面などを賑やかに舞っていました。ところが,3月に入ると,途端に,暖冬に追い立てられるように早足で近付いて来ていた春が,少し休憩・・・なんだか,ぶり返しの寒さで,しまいかけた真冬用の衣服を戻したり・・・落ち着かない季節の狭間でした。

漸く,それでも春の息吹は届いてきました。

桜は,開花宣言がまず東京・・・そして,全国でも咲き始め・・・勿論,吉備路でも咲き始めてきました。なんと,既に東京は満開,花の都です。

僕たちも3月末は例年の様に,日本衛生学会が行われ,今年は大阪でした。ただ,関東ほど桜の開花は進んで行ってなかったみたいでしたね。別に桜の名所に行った訳ではなかったのですが,いつもの学会のテクテク倶楽部で訪れた寺社でも,まだ,充分には咲き切っていなかった印象でした。

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毎年,年度のこの時期は出会いと別れです。

3月末は,別れの季節ですね。

まず一人は,董 茂龍先生! 既に,「いくつかの場面」にも董先生の最後の data club の様子もアップしましたが,1年間,一緒に研究をすることが出来ました。元来,本学の形成外科に留学生として来られたのですが,ふとした縁で,我々の教室で一緒に仕事をすることになりました。創傷治癒に関連する皮膚の繊維芽細胞について,特に hypoxia 条件における修復にかかわる遺伝子の発現などを観察されました。

僕らにも少し門外漢の領域ではあったのですが,大槻はまだmyelomaをしたいた頃に,また,泌尿器科の当時大学院生の藤井先生と一緒にした仕事の中で,少し hypoxia のこともしていましたので,その辺りの知恵と,それにもまして,董 先生のやる気と努力で,それでも充分の仕事が(1年は短い!!)出来たとは思います。

董 茂龍先生が今後,西安に帰られて(というか,3/25に無事に着いたとのメールもありましたけれど),最後のまとめをされて,論文に持っていこうと思っています。

勿論,慣れない文化,言葉,実験環境・・・等々の中で,董 先生は本当によく頑張られたと思うし,また,お人柄も快活明朗で,また,独自で物事に対応できる素晴らしい方でした。いやぁ,僕らも本当に楽しく研究が出来たし,僕らのいろんな飲み会でも,毎回,楽しい酒を酌み交わすことも出来ました。感謝で一杯です。奥様と坊ちゃんが,二回程,来られて,そのときには,確か,広島や Disney Land や,京都などにも確か行かれたような話でした。家族想いもなかなかですよね・・・。

勿論,いくつかの中国の抱える問題も話してくれましたけれど,それより何より,董先生の頑張りに,僕らのスタッフも引き摺られる様に,仕事をしたいたほどの印象まであります。また,三浦先生(最初は,三浦先生も居てくれたのでした・・・なんだか,遠い昔だけれど),前田先生,西村先生も一緒に仲良く(日中友好! イ尓好)してくれて,助かりました。

最後の data club でもそうでしたけれど,董先生からは,是非,また,西安で再会しましょう!!! と,強くメッセージを頂きました。そうですね,今後とも,共同研究とか諸々出来れば嬉しく思いますし,西安は行ってみたい感じですよね,始皇帝ゆかりの地ですし,兵馬俑・大雁塔などは,董先生も写真を見せて下さいました。

よし,また考えておきましょう。

董先生,我々に活力をありがとう!!

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そして,研究補助員の黒木さんも,今月一杯です。

彼女は,11月からでしたので,五ヶ月という期間でした。4月からは,岡大の医歯薬系大学院で,医学部の分子生物学の修士課程の大学院生です。凄い! 熱心ですし,真面目ですし,きっと,良い研究をしてくれると感じてます。

うちでも,熱心に真摯に取り組んでくれました。また,実験の工夫なども,伝えたことをすぐに評価して,きちっとしてくれてました。うちの五ヶ月で少し触れてきたことが,今後の黒木さんの研究にどこかで役立てば嬉しいと思います。

黒木さんは,去年は,前田先生の教室の学部生で,前田先生が大先輩の博士課程最終年度だった訳ですが,ひょんな経緯で,ここでまた再会の上,一緒に仕事をしてくれたのは,これも奇遇だけれど,何かの縁でしたね。 

彼女は岡山の東から,市内を抜けて,倉敷市松島まで原チャで通ってきてくれてました。大槻としては原チャ仲間が増えて嬉しかったけれど,でも,丁度,冬の寒い時期(いくら暖冬だったとは云え)だったし,ちょっと心配したり・・・でも,いつも元気にしてくれていたのは,僕らへの活気にもなりました。その上,時々,背中に violin case を担いでの通勤でした。そう,彼女は violinist ・・・・・もう少し早く来てくれていれば,昨年9月の日本免疫毒性学会の時にも,一緒に弾いてもらったのに・・・・・と,悔やんでも仕方ないですが,でも,violin しているのは,良いですよね。scientific な research の中の artistic な部分について,既に素養も十分ってことです。

これは,実は結構大きい要素だとも僕も思ってますし,そういう意味でも彼女の未来に期待しています。

本当に短い期間だったけれども,ここで一緒に働いたことを忘れずに居てくれれば嬉しいです,また,彼女の研究の途へ進む訳だし,またそれぞれの軌跡が出会う場面も出てくるかも知れません。そうなったらそれはそれでとっても嬉しいことだと思っています。

だから,また,どこかで,一緒に働きましょう! あるいは,どこかで研究の話に花を咲かせましょう!

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そうでした,漸く咲き始めた桜は・・・・董 茂龍先生や黒木さんへの感謝を乗せて咲き始めたくれたのですよね。

春は別れですが,この別れは,明日に,未来に繋がる別れのようですので,泪も無く,感謝で一杯の笑顔のままで,送らせてもらいます。

また,いつかどこかで!